いつも楽しい日記を公開している稲本喜則さんの2000年4月22日の日記の「お題」は、
「アキレスと亀のパラドクス」および「鏡は左右を逆に映すけど、なぜ上下は逆に映さないか」を
人を言葉で論理的にうまく納得させよ、というものである。
うまく論理的に納得させる自信はないけれど、
挑戦は受けて立たねばなるまい<誰も挑戦してないって。
論理的に納得させるのではなく感覚的に納得させる方が、納得は楽だったりするのだが。
まず、「アキレスと亀のパラドクス」から。
直感的に「アキレスは亀を抜ける」と思いがちでしょう。
でも、実はそこに大きなあやまちがあるのです。
実は、
アキレスはいくらがんばっても亀を抜けない
というのが正しい論理的な結論なのです。
驚きました? 私もこれを知ったときには驚きました。
「うそじゃん、だって足の速い人が足の遅い人を追い越すもん」と思いますよね。
実はこれも正しい。足の速い人は足の遅い人を追い越します。
以上で説明は終わり…だと怒られるので、少しまじめにやりましょう。
もともとのアキレスと亀の話の核心部分は、こうなっていた。
「ほんの少し前に亀がいた場所にアキレスが達すると、そのほんの少しの時間に亀はすでにちょっと前に進んでいる」
これは正しいか? 正しい。間違いなく正しい。
結論部分は、こうなっている。
「…したがって、いつまでたってもアキレスは亀を抜けない」
これは正しいか? これは正しくない。
どこが正しくないかというと「アキレスは亀を抜けない」という部分ではなく、
「いつまでたっても」という部分である。
もしこれが、
「…したがって、これを繰り返す限りアキレスは亀を抜けない」
ならば正しい。少し前に亀がいた場所にアキレスが達する。亀は少し進んでいる。
さらにアキレスが達する。亀は進んでいる。…これを繰り返している限り、
アキレスはけっして亀を抜けません。
これを繰り返せば、確かに時間は過ぎていく。
しかし、その時間は、いくら合計しても「いつまでたっても」という「無限の時間」には至らないのである。
以下、暗算でできる計算をしましょう。
アキレスが亀の10倍のスピードだとします。
アキレスが10メートル進む間、亀は1メートルしか進まないとします。
計算が楽なように、アキレスが10メートル進むのに10秒かかるとします。
最初、アキレスの前10メートルのところに亀がいます。用意、ドン!
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アキレスが10メートル進んで亀が以前いた場所までくると、亀は1メートル進み、時間は10秒経過する。
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さらに、アキレスが1メートル進んで亀が以前いた場所までくると、亀は0.1メートル進み、時間は1秒経過する。時間は合計11秒経過する。
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さらに、アキレスが0.1メートル進んで亀が以前いた場所までくると、亀は0.01メートル進み、時間は0.1秒経過する。時間は合計11.1秒経過する。
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さらに、アキレスが0.01メートル進んで亀が以前いた場所までくると、亀は0.001メートル進み、時間は0.01秒経過する。時間は合計11.11秒経過する。
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…
-
さらに、アキレスが0.0000…01メートル進んで亀が以前いた場所までくると、亀は0.00000…01メートル進み、時間は0.0000…01秒経過する。時間は合計11.1111…11秒経過する。
以上から得られる結論は「アキレスは(11.111…秒の間は)いくらがんばっても亀を抜けない」というものです。
ですから、はじめにお話したように、このアキレスの亀の物語の結末「アキレスはいくらがんばっても亀を抜けない」は正しいのです。
ただし「11.111…秒の間は」(
ある限られた時間の間は
)という条件がつくのですがね。
「鏡は左右を逆に映すけど、なぜ上下は逆に映さないか」
これも、実は問い自体が間違っています。
鏡は、左右はそのまま映し、上下を逆に映しているのです。
びっくりしたでしょう。私もびっくりしました。
…というのは不正確な話。ちゃんと説明しましょうね。
例えば、いま、(髪を売って主人へのプレゼントを買おうとしているデラのように)姿見を前に立っていると思ってください。
私はここに立っている。鏡の向こうには自分が映っている姿がある。
左右が逆か、上下が逆かを判断するとき、私たちは、
重ね合わせ
ということをやります。
重ねて、重なったら「そのまま」と考え、重ならなかったら「逆」と判断するのですね。
通常、私たちは自分の姿と鏡の姿を重ねあわせるとき、
「まわれ右」をして、重ねあわせようとします。
くるりと後ろを向いて鏡の中に自分を沈ませると表現してもよいですね。
するとどうなりますか。
頭は頭と、足は足と重なります。しかし、右手は右手と重なりません。右手は左手と重なってしまいます。
おお、上下は重なるが、左右は重なりません。
だから、私たちは「鏡は左右を逆に映すけど、上下は逆に映さない」と考えてしまいます。
でも、ちょっと待ってください。
自分の姿と鏡の姿を重ねあわせるとき、
次のようにしてみましょう。
ちょうど、プールへ飛び込むように、姿見の向こうの自分の足に頭を重ねるように重ね合わせてみましょう。
重ね合わせのやり方を変えるのですね。
するとどうなりますか。
右手は右手と、左手は左手と重なります。しかし、頭は頭と重なりません。頭は足と重なってしまいます。
おお、左右は重なるが、上下は重なりません。
ですから、このような重ね合わせを行うと「鏡は上下を逆に映すけど、左右は逆に映さない」となるわけです。
ところでもう一つ。
私たちは3次元の世界に生きていますから、
上下、左右のほかに「前後」という方向もあるのです。
つまり、鏡の中の自分と重ね合わせる方法はもう一つあるはず。
そう、回れ右もせず、飛び込みもせず、鏡の国のアリスのように、そのまままっすぐ鏡に進んでいくのです。
まるで自動ドアであるかのように。
するとどうなりますか。
右手は右手と、頭は頭と重なります。しかし、お腹(前)はお腹と重なりません。お腹は背中(後)と重なってしまいます。
おお、左右は左右に、上下は上下に重なるが、前後は重なりません。
ですから、このような重ね合わせを行うと「鏡は前後を逆に映すけど、上下や左右は逆に映さない」となるわけです。
鏡は、上下、左右、前後のどれか一つを逆に映します。
どれが逆になった、と判断するかは、私たちの「重ね合わせ」の方法によって変化します。
どうして「まわれ右」の重ね合わせが自然と感じられるかは…それは別の話。
またいつか、お話することにいたしましょう。