打ち合わせ / クリスチャンりんぐ
2000年6月30日(金) 00:00夕方、いつもお世話になっている編集の方々と打ち合わせと食事会。 メールマガジン『Perlクイズ』を元にした新しいお仕事についてと、 執筆中の書籍に関していろいろやりとり。 いつもありがとうございます。
先日、クリスチャンりんぐに登録。
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結城浩の日記
夕方、いつもお世話になっている編集の方々と打ち合わせと食事会。 メールマガジン『Perlクイズ』を元にした新しいお仕事についてと、 執筆中の書籍に関していろいろやりとり。 いつもありがとうございます。
先日、クリスチャンりんぐに登録。
検索エンジンで「杉田玄白」を検索すると、 本当の杉田玄白とともにプロジェクト杉田玄白が結構見つかる。 個人ページで言及している場合もあるし、 翻訳・フリーテキスト・技術文書関係のリンク集に登場する場合もある。 Webへの浸透度はなかなかのものである。
結城はプロジェクト杉田玄白を応援している。 もっと多種類に渡る翻訳がオンラインで自由(フリー)に読めたらいいな、と思う。 もっとどんどん翻訳する人が増えたら楽しいだろうな、と思う。
例えばこういうのはどうだろう。 個人でWebサイトを立ち上げている人、 ネットで自分の活動を宣伝したい人は、 自分が関心を持っている分野の文章を翻訳する。 そしてそれをプロジェクト杉田玄白に登録しちゃうのだ。 そうすれば杉田玄白から自分のページにリンクが張られる。 つまり、プロジェクト杉田玄白を自分の活動の宣伝の場として利用するのだ。 杉田玄白が有名になってくれればくれるほど、 自分のサイトへの訪問者も増えてくれる(はず)。
ネットはまさに "AS IS" の世界。 肩書きも学歴も関係がなく、 作品を現物として「ほら、どうだ」と提供したもの勝ちである。 作品を広く募っているサイトをうまく利用して、 自分をアピールする場とするのだ。
青空文庫も見てみよう。 そこに登録されているシャーロックホームズの翻訳は、 何と、高校生の大久保友博さんが行なっているのだ。 1982年生まれだって。すごいなあ。
こう言っちゃなんだけれど、 (1963年生まれの) 結城が登録している『幸福の王子』や『最後の一枚の葉』なんかは、 学校の英語の時間で翻訳させるようなやさしい文章である。 「はい、作品でございます」というほどたいそうなものじゃない、と考えることもできる。 でも、いいのだ。 ささやかな翻訳であっても、 それは私なりの杉田玄白へのエールだし、 また自分のサイトの宣伝でもあるのだ。
ですから、これをお読みのみなさんも、 翻訳やりましょ、やりましょ。 英語のテキストは、 プロジェクトグーテンベルグなどにうなるほどあります。 (誰か『赤毛のアン』やらないかなあ) そして翻訳したあかつきにはプロジェクト杉田玄白へご登録くださいな。
仕事をしているような、さぼっているような。 まあ、でも、ぼちぼち進んでいるような。
朝、炊き込み御飯とたまねぎわかめのお味噌汁。 はくさいの漬物。 この日記の背景が奥さんに不評だったので白紙に戻す。
月曜日、仕事をはじめるのはなかなかつらいものだが、 とりあえず、とっととはじめてみる。
(…というわけで一日がすぎる…)
とっととっと。
おっとっと。
翻訳のお仕事やら、書籍のお仕事やら、いろいろ。 ふみっ!(決然たるふみぃ) ServletとJava Server Pagesについてもお勉強しなくちゃ。
自分をポイと捨てて、とっととはじめた場合、 何も考えず「てけてけ」と手が書いてくれる時間は約30分のようだ。 30分すぎると、ぜんまいが切れた人形みたいに手がぴたりととまってしまう。 うまくそこをすぎると、約90分くらいは動くみたい。 バイト数としては約2KBくらいがワンセットかな。 行数で言うと40行くらい。 手が止まるのは、頭がメタな情報でゆさぶられるからだな。 「これ以上詳しく書くのはやめようよ」や「もっといい表現を思いつかないうちは書き進めないように」という 検閲者の声が大きくなると、手が止まる。いかんなあ。 まずは、その時点で頭にあることを吐き出さなければ、 編集できないのに。 どんどん手に書かせなくては。 手は書きたがっている。指は動きたがっている。 手をキーボードに乗せて、指に「それいけ!」と掛け声をかけなくっちゃ。 前を読み返して、変な理屈をつけようと思うのがいかんのだなあ。
とっとと。
翻訳と書き下ろしの書籍原稿を書く。
構成がまずいなあと感じていたり、 全体的に沈滞ムードが漂っているときなど、 書きはじめるのはおっくうなものだ。 また、特に、仕事に取り掛かるのがいやになってくる。 そういう経験はどなたにもあると思います。
結城は以前「文章を書く心がけ」で書き始めることのつらさについて少し書いた。 そのときは「書こうとせず、読もうとしよう」と書いた。 「書こう」と思うとつらいから、 まずは「書かなくてもいいから読もうよ」と自分を「だます」のである。 でも、近頃は自分もなかなかだまされなくなってきて(^_^;いるのである。 最近気がついたのは、 (同じことなのだが) 「いやだいやだと騒いでいる自分を捨てる」という技法である。 「原稿書かなくちゃ、読まなくちゃ。いやだいやだ」と騒いでいる自分がいる。 昔はそのような自分をなだめたり、すかしたり、だましだまし仕事をはじめていた。 でも、最近はそのような自分に耳を貸さず、 自分の中の自分をポイとすてて、 さっさと機械的に仕事をはじめてしまう方がよい、 と気がついてきた。
ナルニアに向かうとき、 その多くは、自分の感情や状況に関わらず「入り込んでしまう」ことが多い。 衣装箪笥を抜けるとき(『ライオンと魔女』)も、 絵の中の海に落ちるときも(『朝びらき丸東の海へ』)、 そして鉄道の…も(『最後のたたかい』)。 それと関係があるような、ないような。
全部自分でコントロールしようとしたり、 全部自分の支配下に置こうとしたりすると、 かえって苦しくなるのかもしれない。 仕事なんて、時間が来たら、とっととはじめるのがいいのだ。 もともと好きでやっている仕事。 うまくいかなくても、実際の事柄にぶつかっているうちが花なのだ。 仕事もはじめずに、うーだのあーだのいっててもしょうがない。 自分をいくらなだめても「執筆前の最適な精神状態」になんか、 百万年たってもたどりつくわけがないのだ。
むしろ、自分の内面と折り合いをつけるのは、 一仕事終えて、ほっとしたときの方がいい。 ぽんぽんと自分の肩をたたき、自分の頭をなでてあげて、 「ほらね、何とか今日の分は進んだでしょ。ご苦労様。 神さまに感謝しようね」 と自分に語りかけるのだ。 そして、そのように自分を導いてくださった神さまに感謝し、 今日一日分の仕事を神さまに捧げる。
これも、一つの心がけかな。
雨の土曜日。
翻訳のお仕事を少し進める(これは杉田玄白ではなく、お仕事の方の翻訳)。 これまた、やるべきことは山積みだ。 やれやれ。
夜中、ピーターパンの翻訳にちゃちゃコメントをつけてkatoktさんにメール。
ええ、自分の仕事の逃避だというのはわかっていますが(^_^;。
しかし、ピーターパンってこんなに長い話だったんですねえ。
人の文章のあら探しはいくらでもできるけれど、
自分の文章の校正は難しい。楽しいけれど。
しかし、言葉って深いなあ。
katoktさんの文章を読んでいて、自分の文章と言葉の選び方がずいぶん違うなあと驚いたりする。
漢字とひらがなの使い分け、ひらがなとカタカナの使い分け、句読点の入れ方だけを取り上げても
まったく違う。
例をあげる。
katoktさん なぜならひとつにはウェンディは除く全ての母親たちを軽蔑していましたし、 もうひとつにはこの島で書くことはおろかつづることさえできない たった一人の男の子だったからでした。 hyuki 理由の一つは、ピーターはウェンディ以外のすべての母親を軽蔑していたからで、 もう一つの理由は、ピーターはこの島で書くことはもちろん綴ることすらできない たった一人の男の子だったからです。 はちこさん (上記を読んだはちこさんから送っていただきました) ひとつには、ピーターはウェンディ以外の母親をみんな軽蔑していましたし、 さらに、ピーターは文を書くのはもちろん、単語を綴ることすらできない、 この島でたった一人の男の子だったからです。
午前中、久しぶりにまとまって書籍の原稿書き。すごくよい。 でも、まだまだまだまだやるべきことは山積みである。 しかし、今日書いた分はとてもよい。
最近あまり調子がよくないが、集中して書籍の原稿を書いた後はとても調子がいい。 私はこれは「別世界」のゆえではないか、と思っている。 集中して原稿を書いているときは、現実の世界と自分の意識は切り離され、 私は別世界へ旅立っている。 現実世界でまわりにあるものも認識の外に出、 現実の時間とは違う時間の中を歩いている。 そうしてひとまとまりの仕事をした後で私は現実世界に帰ってくる。 そうすると、なぜか心が深いレベルでリフレッシュしているのである。 感謝なことである。
別世界への旅行はファンタジーの本質である。 別世界へ行き、帰って来る。 それがファンタジーの本質だ。 例えば夜眠る。夜眠って夢を見る。これもファンタジーの一つかもしれない。 映画、読書、テレビ(はどうだろう)もファンタジーの一つだ。 一般に、趣味の世界もそうかもしれない。
ルーシーたちはナルニアへ行き、またイギリスへ帰ってくる。 しかし『最後の戦い』では、最後はもう帰ってこない。 ナルニアの終わりを迎え、そして本当のナルニアへ旅立つのだ。 それから先に待っているものは、それまでのことがすべて、 はじまりのはじまりに過ぎなかったと感じられるようなものなのだろう。
この世も同じではないか。 現在生きているこの世界は影の国(shadow lands)に過ぎない。 私たちが感じているリアリティというのは、 もっと高次元のリアリティの影に過ぎないのではないか。 私たちは毎日の苦労や思い煩いの中に生きている。 しかし、これがすべてではないのではないか。
私は、この世は「愛の練習場」だと思っている。 私たちに内在している自分勝手な傾向、自己中心的な思いが、 さまざまな障害や困難によって打ち砕かれる場。 自分が握り締めているプライドを手放し、 各人が置かれている状況の中で、 ささやかながら「愛」を示していく場。 そしてその愛の源である神さまを知り、 その愛を体現してくださったイエスさま (自分のためにではなく、人のために命を捨てるほどの深い愛があるでしょうか) を知る場。
私たちが生きているこの世は確かにリアルなものであり、現実である。 しかし、私たちの命が尽きるとき、それですべてが終わり、 それですべてが無に帰するのだろうか。 私はそうではない、と思う。
この世に生きている間、死ぬまでの人生を好き勝手に楽しもうとするのも一つの選択。 あるいは、自分の感情や自分の悟りに頼って生きていこうするのも一つの選択。 神を信じ、イエスさまの救いを信じ、聖書に従って生きようとするのも一つの選択。 その他、どのような方向に自分が生きていくのか、私たちは毎日毎日、選択を迫られている。
この世の終わり、いやいや、自分の人生の終わりを迎えるとき、 この世での自分の命が尽きるとき、私たちは(いや、私は)神の前で何と弁明するだろう。 神さまの前で、たった一人で、裸で、何も持たず、 自分の人生(それはすなわち私たちの「毎日」のことだ)について、 神さまになんと説明するだろうか。 自分が稼いだお金について語るか、 なした仕事について語るか、 勉強したことについて知識を披露するか、 何らかの世話をした人の数について語るか、 自分がしたよいことを語るか、 教会でなした奉仕について語るか。 いや、駄目だ。ぜんぜん駄目じゃん。 やはり、イエスさまにすがるしかないのだ。 私は罪人です。 イエスさま、おゆるしください、と。
朝、みんなお寝坊したため、 おにぎりとオレンジジュース。
コーヒーショップで書籍の原稿書き。 うーん、うまく行かないなあ。 でも書き進めなくては。
以前書いた「100字解説」いろいろ。 ・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+ 黄金に覆われた「幸福の王子」の像は、高い台座から町 中を見渡している。旅の途中で通りかかった一羽のツバ メは、王子を通して人々の悲しみを知り、みなに幸せを 運ぶ使いとなる。その果てに…。自己犠牲の愛の物語。 ・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+ http://www.hyuki.com/trans/prince.html ・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+ 今日はイブなのに、愛する夫に何一つプレゼントが買え ないなんて。一大決心の末に、妻デラが手に入れた最高 の贈り物。しかし、それを見た夫ジムは、すぐには喜ば ず…。貧しいが愛にあふれた夫婦の、クリスマス物語。 ・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+ http://www.hyuki.com/trans/magi.html ・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+ 肺炎で生きる望みを失った若い女性ジョンジー。寝たき りのベッドからは、散っていく蔦の葉ばかりが見える。 最後の一枚が散るとき自分も死ぬ、と信じているジョン ジーに心を痛める友人たち。命がけの愛と希望の物語。 ・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+・・・・+ http://www.hyuki.com/trans/leaf.html
昼頃メールマガジン『Perlクイズ』を送ったところ、 19時くらいまでに20通近い返信がきてちょっとびっくり。 みんなPerlが好きなんですねえ。 結城の出題をみなさん楽しんでくださっているようで、とてもうれしい。
朝、昨晩の残りのジンギスカンとご飯にお味噌汁。
本を書き、連載原稿のゲラの校正をやり、その勢いで、 すごく久しぶりにメールマガジン『Perlクイズ』(2627部)とメールマガジン『Java言語Q&A』(4088部)を発行。 祈ってから仕事をすると、全体的に整っていく感じがする。 神さまに感謝。
「クリスチャンのあなたのためのホームページ入門」を読んだ方から感想をいただく。 「家庭をテーマにしたHPなのに、逆にHPの事で、妻と溝が出来てきそう」ということで 更新は週一回に制限しているのだそうだ。なるほど。
katoktさんからのメールの中にあった「英辞郎」というWeb上の辞書を見る。 恥ずかしながら(?)私は英訳のときに研究社の(紙の)英和辞典を使っている。 オンライン辞書を使えばいいのだろうけれど。
あ、そうそう。まだProject GutenbergのNewsletterには登場していないけれど、 『マルチン・ルターの小信仰問答書』がProject Gutenbergのftpサイトに登録されました。 メールのやりとりの中で、Project GutenbergのHartさんが、 「We would LOVE to post more Etexts in Japanese!!!」 と叫んでおられた。 そこで、参考まで(FYI)に『青空文庫』というものがありますよ、と伝える。
ところで例えば『青空文庫』の中のテキストのうち、 著作権が切れたものを青空文庫さんがProject Gutenbergへcontributeするというのは 「取り扱い規準」上はオーケーなのだろうか。
青空文庫はさておき、 もしも、これをお読みのあなたがパブリックドメインの日本語テキストをお持ちなら、 Project Gutenbergへcontributeすると喜ばれるかもしれません。 え、そういうことをやって何の得があるかって? 疑問に思う人は『ノウアスフィアの開墾』を読みましょう。(^_^)
プロジェクト杉田玄白の方では、 山形浩生さんの『鏡の国のアリス』が進行中である。 翻訳が進んでいく様子が読めるのも何とも面白い。
『幸福の王子』に対してさっそく芝崎さんと武井伸光さんからメール。 夕方にはkatoktさんからも詳細なメール。 芝崎さん、katoktさんは杉田玄白に参加している訳者、 武井伸光さんは杉田玄白で有名なtypoチェッカーですね。 感謝します。 ところで『幸福の王子』本文にも書いたのですが、 以下の部分をどなたか教えてほしいです。
原文
All day long he flew, and at night-time he arrived at the city. "Where shall I put up?" he said; "I hope the town has made preparations."
この最後の文の意味がわからないのです。 「町が宿泊の準備をしてくれていたらいいのに」というほどの意味なのかな。 以下は私の訳。
訳文
一日中ツバメは飛び、夜になって町に着きました。 「どこに泊まったらいいかな」とツバメは言いました。 「泊まれるようなところがあればいいんだけれど」
『幸福の王子』は「ついしん:うーむ、みじかくて、やさしくて、有名で、しかも古めの児童図書は狙い目だぞ!」 (山形浩生さんがプロジェクト杉田玄白のページに書いた文)にぴったりあてはまる題材でした。 翻訳にかかった時間は三日くらいでした。 これで『賢者の贈り物』『最後の一枚の葉』『幸福の王子』それから『マルチン・ルターの小信仰問答書』が杉田玄白に登録できた。 キリスト教的な題材を使って、 フリーのテキストの世界に(ほんのちょっぴりであっても)貢献できて、 とてもうれしい。
私は翻訳家ではない。 でも、自分のできる範囲で文章を選び、翻訳し、それを(思いきって)公開してみると、 なかなか面白い世界が広がっていくことがわかる。 あなたも翻訳してみませんか。 そして、ぜひプロジェクト杉田玄白へ参加してください。
オスカー・ワイルド『幸福の王子』を翻訳しました。 いつものようにプロジェクト杉田玄白へ正式参加予定。 誤訳や誤字などの指摘を歓迎します。 誤訳を探せるように、原文も置いておきます。
朝、レーズンパンと白いパン。 家内がちゃちゃっと作ったブルーベリージャム(というかソース)をかけて食べる。
長男はピアノの練習をしている。 一人で練習しているときにはそれなりに弾けるのだが、 家内が伴奏を弾くと、そのリズムにつられてしまって、 二分音符で弾くべきところが四分音符になってしまい、 何度も何度もやり直し。 なかなかできないので、弾きながら家内はいらついてしまう。 身内に教えるのは難しい。
先週末は私の実家に帰省していた。 高齢の祖母(クリスチャン)はこの冬たいそう体調が悪かったが、 今では見違えるように回復。感謝。 家内と私と祖母とで祈れたこと、感謝(特に家内には深く感謝している)。
最近は、不調不調と言いつつ、あちこちサボっている。
一日にできることは本当に少ない。そう思いませんか。
以下、ちょっと面白かったリンク。
やっと連載原稿送付。 編集の方、すみませんすみませんすみません。 で、一息。ふう。
村上春樹『スプートニクの恋人』を読む。 いつものパターンの村上春樹の文章だが、 いつものように興味深く読む。 読んでいると家内から 「あなたの読書趣味は偏っているんじゃない?」 と言われる。 確かに偏っている。 筒井康隆、村上春樹、C.S.ルイスにチェスタトン、ドイルと、えーと、えーと。 小学生や中学生の頃は、ばりばりと本を読んでいたのになあ、と思う。
小学校高学年から中学生にかけての愛読書の一つは『赤毛のアン』であった。 いつもポケットに新潮文庫のアンシリーズを忍ばせていたし、 パフィンブックスのAnne of Green Gablesを買って何とか読もうとしていたし(うーん、あれは高校時代だったか)。 私が書いたC言語の文法書『C言語プログラミングレッスン 文法編』の中にも、 アンからの引用文をさりげなく含めてあるくらい、アンは好きですね。
最近泣き言をよく日記に書いているが、 それを読んで「安心しました」とか「ほっとしました」とか「気が楽になりました」というメールを複数人からいただく。 泣き言も他の人の役に立つと思うと、ちょっぴりうれしかったりします。
『「知」の欺瞞』を読んで、とても面白く感じた。 最初はとても読みにくく感じた。なにしろ縦書きだし、 思想的な文章とか哲学的な文章を読みなれていないから。 でも、ソーカル(著者)達の主張がだいぶ頭に入った後は、 意外にするすると読めるようになった。
娯楽として楽しめる。 深遠な思想家がこれほどめちゃくちゃに科学の用語を使用していることに驚き、 あきれつつ、笑ってしまう。 科学の用語を元の意味からまったくかけ離れて使って、何の意味があるのだろうとか、 意味が読者にわからないように使って、何の意義があるのだろうとか、 あきれはててしまう。 こういう文章は書いてはいけないのだなあ。 文章を書く際の反面教師として用いることができる。
Project GutenbergのHartさんとメールのやりとり。 『マルチン・ルターの小信仰問答書』にProject Gutenbergのヘッダをつけて圧縮して送付。 これで7月には公開されることになるらしい。 ちょっとほっとする。
編集の方より連載原稿の催促をいただく。 すみませんすみません、と言いつつ仕事をする。 そういえば最近、メールマガジンを発行していないことに気がつく。 元気が出てきたら発行しよう。うん。 発行すると元気がでるのかもしれないが。
知人より仕事の依頼が飛び込んでくる。 けっこう面白そうな仕事ではあるが。 一応、詳しく話を聞くことにする。
SPAMメールは毎日のようにやってくる(そしてごみ箱に入っていく)が、 お願いだからASCIIの範囲で書いてほしいなあ(^_^)。 iso-2022-kr ってどこの文字コードなんだろう(^_^;
明らかに学校の宿題のように思われるプログラミングの質問メールが来ることもある。 どんな風に答えたらいいのでしょうねえ(^_^)。
何だか忙しい。朝、長男を幼稚園に送り、 その後家内と一緒に(鼻ぐすぐすの)次男を病院に連れて行って診てもらう。 それから家内と一緒にとある相談所に出かけていろいろ相談。 でお昼。その後家内とスターバックスでお茶にする。
何だか疲れ果ててしまったので、 今日はオフにしてしまうことにする。 家内と別れてからふらふらと町を歩き、 映画をぼおっと観てからドトールに入る。 オフにするはずだったが、 ノートパソコンの電池がまだ生きていたので、 原稿を書き始める。 作業が妙にはかどり、苦笑する。
タイピングすると、何だか落ち着くなあ。 おしゃべりしているのと同じなのだね、きっと。 リラックスして、ノートパソコンの上に手を置き、 自分が思う通りの文章を勝手に手に打たせておくのは、 とても楽しい。 心が自由になる感じがする。 毎日、いろんなことを考えたり、 「何で私ってこうなんだろうなあ」などと悩んだりする。 でも、自分はやっぱり自分であって、 今日はやっぱり今日であって、 自分は今日を生きている。 いまを生きている。 神さまがいらっしゃる。自分は主に生かされている。
早朝、『「知」の欺瞞』をあらかた読み終える。 とても面白い。 そうか、難しそうなことが書かれていても、疑っていいのだねえ。 それはそれとして、自分の中に相対主義的な傾向がないかどうか、 よく吟味した方がよいかもしれないなあ。
午前中は家内と役所でいろいろと相談事。その後スターバックスでお茶。
キリストへの信仰は結婚に例える、あるいは食事に例えることができます。 相手の身長・体重・経歴・職業・趣味などのデータが増えることと、 その人と(他のだれでもない)自分が 結婚することの間には天地の開きがあります。 そして、その結婚にはある意味で何の保証もない。 自分が、熟慮の末に、飛び込んで体験するしかないのです。 ある料理の栄養価とかカロリーや香りを調べることと、 自分がそれを食べることとは大きく違うのと似ています。 他の人が食べるのを見ていても、最後は自分で食べなければ よい影響にしろ、わるい影響にしろ、何も受けないのです。 ですから、どんなクリスチャンの話を聞いても、 聖書を読んでも、最後は自分自身で 「ああ、私は自分勝手に生きてきた存在なのだ、 イエスさま、どうか私の身勝手をゆるしてください」 という罪の告白と信仰告白を心からしないことには、 ほんとうには何もはじまらないのです。 本当の神さまという人格との交わりに入るには、対話が必要です。 イエスさまはあなたの心の扉をいつもノックしています。 神さまは自由意志を重んじる方ですから、 あなたの意志に反して無理やり入り込むことはしません。 あなたが「神さま。私はあなたに心を開きます」と祈るとき、 神さまははじめて、あなたの内に入ることができるのです。
キリスト教の信仰は、ある教えにしたがって生きる、という面だけではない。 人間が、規律に従って生きる、だけなら、神さまはどこにもいない。 私とルールしか存在しないのだから。 そうではない。 神さまがいらして、人間は神さまに従って生きるのだ。 聖書を読むのは、聖書は神様が与えてくださったメッセージだからだ。 神さまに従って生きるなんて、聖書に従って生きるなんてできない、不可能だ、と考える人は多い。 ええ、神さまに従って生きるのは不可能です。人間の力では。 だから、祈るのです。だから、心を神さまに開くのです。 自分の力で神さまに従う、自分の力で聖書に従う、自分の力で愛する、自分の力でゆるす。 それは絶対にぜえええええったいにできないこと。それは無理だし無駄だし危険なこと。 そうではなく、神さまに心を向けること。 神さまに心を開いて、神様から力を受けて歩むのです。 全部自分で予見するのではない。自分の思い通りにすべてを進めるのではない。 よくわからない部分もあるが、神さまに信頼して進むのだ。 自分のやりたいようにではなく、神さまの望まれるように進むのだ。 自分の力を誇るな。自分の力に頼るな。 かといって、自分にはできないとあきらめるな。 自分の力ではできないだろう。 けれども主の御旨にかなうなら、神さまは必ずなしてくださる。 罪を悔い改め、よく祈り、神さまに心を開き、力を受け、 大胆かつ細心に、次の一歩を進めよう。 人間関係でも、仕事のことでも、結婚でも、勉強でも、どんなことでも。 主はいつも、あなたと共におられます。
朝、マクドナルドで朝食をしようかと思ったが、時間の都合上お弁当になった。
黒木さんの掲示板で話題になっていた『知の欺瞞』(岩波書店)を購入する。 この本は、ポストモダンの思想家たちの論文や著作の中で、 いかに科学・数学の用語や概念が濫用されているかを示したものである。 科学っぽい、数学っぽい文章をこねくりまわし、論文や著作を、 難しくて権威があるように見せかけている風潮がはっきりと描かれていて面白い。
katoktさんは「週間翻訳日記」でピーターパンを翻訳していらっしゃる。 杉田玄白のtypoチェッカーである武井さんの指摘や、 どういう訳語にしたらよいかなどの検討過程が書かれていて、 面白い状態になっています。
ある大学の計算機センターから、 CGIを使わせてほしいという丁寧なメールをいただく。
一日でできる仕事って、何て少ないのだろう。
朝、にらオムレツと海苔ごま塩ふりかけ。えのき・豆腐・わかめのお味噌汁にご飯。 次男はものすごい音量でわーわーわーわーわめきつづける。果てしなくうるさい。 The Clean Teamからお掃除キットがUPSにて届く。工作好きの長男は、空きダンボールをほしがる。 郵便局の料金引き落としの残高が足りなくなっていたので補充。 hyuki.comのプレゼンスプロバイダ料金を一年分支払う。
あるページにあった「Perl is finished」というリンクをたどる。 頭が疑問符でいっぱいになってしまった。 識者にメールしてこれがfake news(冗談記事)であることを確認。 やれやれ。 そもそも、このsegfault.orgというサイトはこういうジョーク記事を集めているところらしい。
お昼から吉祥寺に出かける。 家内は東急でやっていたファブリック展を見に行き、 私は次男を連れてパルコブックセンターに出かける。 Linux本やOracle本を見たり、江口ひさし(字を忘れた)の原画本を見たり。 『知の欺瞞』を探すが見つからず。 山形浩生さんの本をぱらぱらと立ち読みをする。 Perl/Tkの本とJavaの本を買う。 その後、スターバックスで軽く食事をする。 日差しがじりじり照りつけるので長居はせず。 ホームセンターに移動してすだれを買う。
午後から喫茶店に出かけて少し仕事をする。
途中から大量のおばさん年配のご婦人が入ってきて店内が喧騒の渦になったので退散。
その後、長男を連れて散歩。 公園に出かけて、長男が遊んでいるのをぼんやりと眺める。 小学生らしい男の子たちが遊んでいる。 でも、言葉遣いがとても乱暴で、何だかあまり気持ちがよくない。 自分の子ども時代もあんなだったのかなあ。 子どもたちの中にも力関係があって、 全体を仕切る子、それに従う子、従わない子、 「あいつが言うことをきかない」と言いふらす子などがいて、 子どもといえども人間、などと当たり前のことを思ったりする。
夜はお刺身とサラダ。 次男はご飯(おかゆ)がもらえそうだとわかると、 盛んに「まんま、まんま」と言う。 でもまだ「おっぱ」とは言えない。 時が流れるのは本当に早い。 来月で次男も一歳になるのだ。
ある女性の読者からの質問 > 初めまして。 > かなり長い間結城さんのサイトを拝見しています。 > > 個人的事情により、「信仰」とはどのようなものか? > という疑問をずっと抱いています。 > そのなかで結城さんの書かれた物は、私にとって > 1つの回答を見せてくださったように思います。 > > ずっとお聞きしたかった質問です。 > 「信仰を持つ者と、持たない者の結婚生活はありえますか?」 結城の返事 はい、ありえます。 実際にそういうご夫妻はいらっしゃいますから。 信仰(ここではキリストに対する信仰だとします)を持つ人と 持たない人が結婚するとしたら、結城が疑問に感じるのは、 ・信仰を持たない側は、 信仰を持つ側の一番大事な部分を理解しないまま結婚する ・信仰を持たない側は、 教会での結婚の誓いの意味を知らないまま教会で誓う という2点です。 そういうご夫妻が「幸せかどうか」については、 私が独断的に語ることはできませんし、 推測するのも失礼なことでしょう。 多くの人が、結婚後に相手が信仰を得ることを期待します。 しかしそれはとても難しい道です。 (けれども決して不可能な道ではありません。 現在そういう状況におられるご夫婦のために心からお祈りします) > 不躾な質問、お詫びします。 > 細かな事情も書けませんが、是非一度ご回答頂けませんでしょうか? > > 今後も結城さんのサイト楽しみにしております。 簡単に結城の個人的な考えを書きました。 誤解される恐れがたくさんありますが、 時間の都合上おゆるしください。
気持ちの上の不調からちょっぴり脱出し、仕事に本腰が入りはじめる。 とはいえ根気が続かないので、ぼちぼちと進める。
今日発行されたはちこさん&クララさんのメールマガジンには結城の文章が掲載された。 それを読んだらしい方からさっそくメールがとどく。 感謝。
Project Gutenbergとのメールやりとり。 なかなか意志疎通は難しい。
お掃除グッズをインターネットで注文。 でも、送料(UPS)が料金と同程度になるのはとても悲しい。 遅くてもいいから、もっと安いのはないの、と聞くとUPS以外だとlostするからやだ、 と言われる。ふうむ。
最近、続けてPGPクイズへの感想がやってきた。何でかな、どこかであのページが紹介されたのかな。
メール風の雑文集「いまを生きる」です。 読者の中には「あれ?どこかで読んだことがある」という方もいるかもしれません。
家内は昨日から軽い風邪でのどが痛い。 今日の朝一番でお医者さんに行き診てもらう。 熱はそんなにない。 私は、家内にわーわー泣き言を言いながら仕事。 「やだやだ、もう仕事したくなーい。一年ぐらい休んでたーい。不調不調」と言うと、 家内は、 「うまくいかない時期というのも必要なんじゃない。そういう時にも意味があるのよ」 と言ってコーヒーを煎れてくれる。
次男はゲットゲットの人生に加速がかかっている。 食器洗い機のふたがパタン、と開く音を聞きつけると、 10秒以内に「はっちゃはっちゃ」と言いながら ハイハイをしてくる。もちろん食器洗い機の中のお茶碗やおはしをゲットしに来るのである。 荒らされていては家事ができないので、「ダミーゲット物(ぶつ)」を与えておく。 何かのふたなどだ。次男が一番とりやすいところにダミーゲット物を置いておくと、 次男はそれを「ゲット」して、しばらくそれをなめなめして楽しんでいる。 その隙に家事を進める。しかし、せわしないこと限りなし。