[DP/2]
はじめの章をゆっくり読みながら校正する。
それから、あちこちの章をながめながら、全体を整える。
気が向いた部分は少し深く書く。
あるとき「ここはまずいなあ」と思ったところでも、
日をあらためて見ると「ん、まあいいかも」と思えてくるから不思議。
そのように評価できるのは、まがりなりにも「書いてある」からだろう。
書いてあれば「よい」や「わるい」と言える。
「いまはわるいと思っているが、また後で読み直してみよう」と考えられる。
だから、後のことはあまり考えず、
いま頭にあることをとっとと吐き出してしまうのはよい習慣だと思う。
あとで全部書き直しになってもいいのだ。たいした手間じゃない。
それに、いま書いたものにまずいところが後で見つかったとしても、
同じような失敗を読者もするかもしれない。
そしたら、そこがまた解説すべきポイントの1つとなるわけだ。
人生に無駄はない。
無駄なように思えても、神さまの手にかかれば万事が益になる。
さまざまなことが、世界中で起こる。
けれども心を騒がせず、主に信頼してよく祈らなければ。
hyuki.comのドメインの契約延長をしなければならないので、
ISPに問い合わせなど。
Googleなどで探すとけっこう見つかる間違いの例。
「掲示版」(正しくは掲示板)
「stuff募集中」(正しくはstaff募集中。stuffは詰め物)
「plogram files」(正しくはprogram files)
アマゾンから届いた
"A Pattern Approach to Interaction Design"
をぱらぱらと読む。
音楽のパターンランゲージ(ソロパートが楽器を渡り歩くパターンなど)、
Webサイトのユーザナビゲーションのパターンランゲージ(いつでも終了できるようにするパターンや、
メニューの階層の深さはXX個までというパターンなど)が記述されているようだ。
音楽のパターンランゲージは、
Alexanderのパターン記述に近い表記法を使っている。
そういえば、bk1.co.jpの方のアフィリエイトにも参加していたのであった。
ええと…一ヶ月で216ポイント(ポイント=円)でした。
ある人から、
「多忙のため、レビューアには申し込みませんが、応援しています」
というメールをいただいて、とても嬉しい。
クラスをfinalにすると、メソッドはオーバーライドできないが、
本当にfinalになっているわけではない、という話題。
Reflection APIは、身上調査のAPI。
import java.lang.reflect.*;
final class c {
public final void finalMethod() { }
public void notFinalMethod() { }
public static void main(String[] args) {
Method[] m = c.class.getMethods();
for (int i = 0; i < m.length; i++) {
String fi = Modifier.isFinal(m[i].getModifiers()) ? "final" : "not final";
System.out.println(i + ": " + m[i].getName() + ", " + fi);
}
}
}
/* 実行結果
0: main, not final
1: hashCode, not final
2: wait, final
3: wait, final
4: wait, final
5: getClass, final
6: equals, not final
7: toString, not final
8: notify, final
9: notifyAll, final
10: finalMethod, final
11: notFinalMethod, not final
*/
ある人へ書いたメールから:
初心者への説明はとても難しいですよね。
結城はプログラミングの入門書ばかり書いているので
そのことをいつも痛感しております。
読みやすい文章を書く黄金律の1つは、
「読者のことを考えよ」
ですね。
自分のこと、自分の説明の都合を考えるのではなく、
読み手のこと、相手のことを考える。
それはとても大切なことだと思います。
MLに流した文章から:
『銀のいす』は、しばられている王子がいましめを解いてくれと
訴える部分に感動しました。ああいう選択というのは、
私たちの人生にも(しょっちゅうはありませんが)しばしば
訪れるような気がいたします。
それと似た体験は、『ペレランドラ』の中で、
ランサムがどうやったら《女王》の堕落を防ぐことができるのかを
ひとり悶々と悩むシーンを読んだときもありました。
読みながら、私自身も何かを選択する局面に立たされているような
そんな気持ちがいたしました。
思いつくまま書きますと、
聖書の「エステル記」の中で、モルデカイがエステルに、
あなたがいまその地位にあるのはこのときのためなのかもしれない
(うろ覚えですが)というセリフをいったときの感覚と近いものがあります。
平凡な毎日を送っている。あたりまえの、昨日に続く今日を送っている。
そのつもりだったのに、突然、今日・いま、重大な決断を迫られる。
誰にも相談できない、どんな人間的な知識も役に立たない、
そんな中で何かの選択をしなければならない。
そんな感覚に私は惹かれるのかもしれません。