午前中は礼拝。午後から公園に出る。
ぽかぽかした日差しの中、たくさんの人が休日を楽しんでいた。
6歳の長男は一人で滑り台をしたり、
ボランティアの人がやっていた工作教室に参加して色独楽を作って遊ぶ。
1歳の次男は家内に見守られつつ公園内を散策する。
犬が通るとさっと指をさして「わんわん」と言う(現在、動物の多くは「わんわん」と呼ばれている)。
ギターを鳴らして歌っている青年たちをじいっと見つめて体を左右にゆらす。
帰りにKoenigのソーセージを買って食べる。
夕方から喫茶店に出かけて仕事。UNIX USERの連載原稿のためにXMLのサンプルプログラムを少し書く。
DTDのチェック(XMLの妥当性チェック)をやってくれないのでいろいろ調べていた。
以下のようにしてValidationモードをonにしたらDTDのチェックに入ってくれるようになった。
((oracle.xml.parser.v2.XMLParser)parser).setValidationMode(true)
ところで、話は変わるが、パーザを生成するときに、
以下のようにすると、oracle.xml.parser.v2パッケージとの関係が緊密になってしまう
(ハードコーディングされる)。
import oracle.xml.parser.v2.*;
...
Parser parser = new SAXParser();
しかし、
以下のようにParserFactoryを使うと、依存性はあるものの、関係は少しゆるくなる。
import org.xml.sax.helpers.*;
...
Parser parser = ParserFactory.makeParser("oracle.xml.parser.v2.SAXParser");
依存部分はmakeParserに渡す文字列だけになるからだ。
ただし、もちろん、oracle.xml.parser.v2.SAXParserクラスがなければ実行時にエラーになる。
んー、これはAbstract Factoryパターンかな。Factory Methodパターンかな。
…などという話は日記に書いてないで、原稿に書かなくては。
疲れてきたところで今度はC Magazineの連載記事を書き始める。
今書いている『Perlプログラミングの楽しみ』は、
「よかった探しリース」のCGIの解説をすることにしよう。
リング状にページをつなげるCGIっていうのは、
つくるのは簡単だがとても楽しい。
2000年11月4日に『Java言語で学ぶデザインパターン入門』レビューアに初のメールを送付。
人数がちょうどよいくらいに収まってくれたし、
とても熱心な申し込みメールばかりが集まったので、
応募者全員にレビューをお願いすることにした。
結城は新しい本を書くごとに、何か新しい試みをするように心がけている。
レビューアを公募するのは『Perl言語プログラミングレッスン』入門編の執筆のときにも行ったが、
今回はもう少しレビューアとのやりとりを増やしぎみにしようと思っている。
まあ、でも、いつも、自分の考えで進むのではなく、
祈りつつ、主の御心にそった方向に進むように心がけなくては。
どんなに人間の目によく見えることも、
聖書の神さまをないがしろにして自分勝手に進み始めたとたん腐り始めるものだから。
自分がいくら背伸びをしたとしても、自分の背丈の高さにしかならない。
しかし自分が身を低くし、神さまに高くしていただくなら、遠くまで見ることができる。
それはどんな仕事でもそうだし、救いへの道もそうだ。
自分の努力でよいことをしても(もちろんよいことはよいことだが)、自分の救いには何の役にも立たない。
底なし沼にはまった自分の靴を引っ張って、沼から抜け出すことはできないのだ。
抜け出すには外からの力が必要だ。
傲慢(ごうまん)や自己中心は誰でも陥るわなだ。
C.S.ルイスが「自分が傲慢になっているかどうかを調べるチェック方法」というのを、
『キリスト教の精髄』で書いている。
それはとても簡単だ。
「自分は傲慢ではない」と思っていたら、自分は傲慢なのだ
(このチェックは他人に対して使うことはできない。
あくまで、自分に対してだけ使うこと)。
信仰を人と比較してはいけない。
私はあの人よりも信仰深い、と思ってはいけない。
自分の行いを人と比較してはいけない。
私はあの人よりもよい行いをしている、
あの人よりも教会の奉仕をしている、
あの人よりも献金をしている、
あの人よりも人に伝道している、
あの人よりも謙遜だ、
あの人よりもにこやかだ、
あの人よりも同情心がある、
あの人よりも家族を愛している、
あの人よりも霊的だ、
あの人よりも清い生活をしている、
あの人よりも、あの人よりも、あの人よりも、あの人よりも、私は…。
…もうそれはやめよう。
ただ、自分を省み、神さまに心を向け、こう言おう。
『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
(ルカ18:13)
このような人が、神さまに義とされるからです(参照:ルカ18:10-14)。