ペンギンちゃんを召喚しましょう。
ペンギン「結城さん、こんにちはです」
結城「ペンギンちゃん、こんにちは。お久しぶりです。ごめんなさい、呼び出しちゃって」
ペンギン「いいえ、光栄ですわ。最近はずっとトドさんとばかりお話ししているので、わたしのことなどお忘れになったのかと思っていました」
結城「いや、そんなことはないんだけれど…」
ペンギン「最近は新刊のご執筆でお忙しいようですわね」
結城「うん、そうだね。でももう山場は過ぎていて、いまは最後の整理段階というところ。気分的には原稿用紙をトントンと揃えている気分だね」
ペンギン「あら、そうですの。おめでとうございます。ところで…前回はリファクタリングの本でしたね。今度の新刊はどのような御本になるのですか」
結城「それはまだ内緒です。編集さんに送って、一通り読んでもらって、作業のめどがついたころ――そうだなあ。四月に入ったら正式にアナウンスしようかと思ってるんだけど」
ペンギン「そうですか…春が待ち遠しいですわね。どんな御本なのかしら。Rubyの本という声をときどきWebで見かけますわ」
結城「Rubyistは熱心ですよね」
ペンギン「最近ですと、Google言語とかいわれている、ええとパイソンでしたっけ」
結城「うん、Pythonだね」
ペンギン「さまざまなプログラミング言語があるものですわね」
結城「それぞれにファンがいるからね」
ペンギン「結城さんの日記を拝読していますと、本当にお仕事が楽しそうですわね」
結城「うん!とっても楽しいよ。毎日、どきどきの連続という感じがするね」
ペンギン「それというのはたいそううらやましい毎日のように思うのですが、そういう毎日を送るコツのようなものはあるのでしょうか。心がけていることとか」
結城「うーん、「こうすればオッケー」という魔法のようなコツはないと思うんだけれど…。「小さなことを大切にする」というのは言えるかもしれないね」
ペンギン「小さなこと、というのはたとえばどのようなことでしょう」
結城「たとえば、お仕事のメールを送るときってあるよね。そのときに「いつもと同じメールをぱっと送る」じゃなくて、自分の心意気のようなものをそこに乗せて送る。あ、もちろんそういう場面では、ということだよ。何ていうか、ルーチンワークはルーチンワークでよいのだけれど、そうじゃない場面――自分でちょっと工夫できる場面でルーチンワークにしないってことなんだ。分かりにくくてごめんね」
ペンギン「いえいえ。なかなか難しいお話ですわね。可能ならばちょっとパーソナルなメッセージもメールに含めるということでしょうか」
結城「うん…そんな感じ。つまり、自分から機械にならないってこと。相手を機械扱いしないということ。「ねえ、どうせやるなら、おもしろい仕事にしようねっ」という気持ちを相手に伝えるということ。――まあメールの場合はね」
ペンギン「なるほどですね。ちょっと思い当たることもなきにしもあらずです。他に「小さなことを大切にする」というのはありますか」
結城「現在の私の仕事ではあまりないんだけれど、ずいぶん昔には、わりとちっちゃな仕事をしていたことがある。そのときでも、その小さな仕事を大切にする。手を抜かない。自分なりの「この仕事ではこういうことを目指そう」という目標を掲げ、(他の人の評価はさておき)自分の心の中での評価をつける。そういうのは大事だと思うな。でね、別にITに限らないと思うんだけれど、ときおり「チャンス」と言えるようなものが来る。そのときに、自分がずっとやってきた小さい仕事の「質」が急に問われたりするんだ」
ペンギン「あ、あの、ちょっとよくわかりにくくなってきたのですが、チャンスと質の関係がよくわかりませんわ」
結城「ごめんごめん。私の例ではないんだけれど、たとえばこんなことを聞いたことがある。ある会社で、ある人が小さな企画を考えてそれを実現しようと思った。でもその企画は、まあ「つまらない」内容で、誰がやってもできるような話だった。だから手を抜いていた。ところがたまたまその企画が別の大きなプロジェクトとつながることになって、急に大きな舞台で日の目をみることになった。ところが、実際に運用しようとしたとたん「手を抜いていた部分」がわざわいして、大きなプロジェクトのほうの評判まで落ちるはめになってしまった――という話を聞いたことがある。つまりね。小さな企画を踏み台にして大きな「チャンス」に届くはずだったのに、「小さい仕事だから」と手抜きをしていたために、せっかくの機会を失ってしまったという話なんだ」
ペンギン「なるほど。よくわかりましたわ。でも…それは一般的には難しそうな話ですわね。といいますのは、逆の場合もあるかと思うんです。つまり小さな仕事――まあ日の目をみないような仕事に必要以上に時間を使ってしまい、結局大きな仕事もできない、というようなケースですわね」
結城「あ、もちろんそれはある。でも、私がいいたかったのは、「いまの自分の仕事は何だろう」という判断のことでもあるんだ。「自分がやるべきこと」は何か。その大きさはさておき、「現在」という時間を使ってなすべきことは、ほんとうのところ何なんだろう、という意識を持つということだ。そして、それが分かっているなら、手抜きせずにやろうよ、せっかくだから。というのが私の最近の実感かなあ」
ペンギン「何だか、深い話ですわね。この機会におたずねしたいんですけれど、結城さんはたくさんの本を書いていらっしゃいますけれど、「本を書く」というのはどういう気持ちのものなのでしょうか」
結城「ええとね。昔からよく思っていたのは、「本を書く」という仕事は「教える」という仕事と通じるところがある、ということ。私の父は教職だったのだけれど、父は学校で教え、私は本を通して教え――という風につながっていて、私は父の子だなあと思うこともあるね。でも、最近はそれに加えて、「教える」ということは(当然ながら)「学ぶ」ということともつながっている、と思う。学ばなければ教えることはできないからだね。つまり。「本を書く」ということは学ぶことに通じることになる」
ペンギン「なるほど。そうですわね」
結城「うん。「学びたい」と思う気持ち。本を読んだり、自分で考えたりして学ぶ。そうすると今度は学んだことを他の人に伝えたり、シェアしたりしたい。そう思うのが自然だ。その気持ちの中には、自分の知識を誇りたいという誤ったプライドも何割かあると思うんだけれど、でもそれを自覚した上で、自分が学んだこと――言い換えれば自分が感動したこと――を他の人に「最適の形で」伝えたいと思う。私の場合にはその最適の形というのが「本」なのだと思う」
ペンギン「人によって違うということでしょうか」
結城「そうだね。ある人は講演をする。ある人は本を書く。ある人はソースコードで表現する。ある人はブログに書く。またある人は……ともかく、自分が学んだことを他の人に伝える。それはとても大切な知的活動だと思う」
ペンギン「なるほど。ちょっと下世話な表現で申し訳ないんですけれど、自分が学んだことを他の人に伝えると、ある意味では「損」になりますよね。自分が時間やお金をかけて学んだことを他の人にあげちゃうわけですから。本を書いて収入に出来ればいいんですけれど、ブログに書いても直接収入にはなりませんわね。そのあたりはいかがなんでしょう」
結城「そういう考え方は理解できる。学んだことを自分だけで使う。それはもちろんその人の自由。でも。二つほど心に留めるべきことはある。一つは「考えたことを人に伝えることは自分の勉強にもなる」という点。もう一つは「いくら他の人にあげたとしても、他の人が奪えないものは自分に残る」という点」
ペンギン「え、え? また難しいお話ですわね。「自分の勉強になる」というのはよくわかります。たとえばブログなどで他の人にわかりやすく説明するというのは、自分の勉強になるし、理解の助けにもなる。だから無駄じゃない、損じゃないということですわね」
結城「そうそう」
ペンギン「もう一つの「他の人が奪えない」というのは、どういうことでしょうか」
結城「こちらが学んだことを一生懸命伝えても、その大半は伝わらないんだ。こちらがもってってくれ!といっても受け取ってくれない。――言い換えるとね。自分で学ぼうとしている人にしか伝わらないんだ。だから、一生懸命表現しても、みんなからとられてしまう心配はない。自分の頭をつかって理解しようとしている人だけに伝わる。そして、おそかれはやかれ、そういう人は自力で学んでしまう――ううん、ごめんね。ニュアンスが伝わらないよね」
ペンギン「はい。…あ、いいえ、何となくはわかります。学んだことを人に伝えるというのは、必ずしも損じゃないという可能性については何となく理解できました――あ、すみません。長話になってしまいましたね。お忙しいのに」
結城「いやいや、私のほうからペンギンちゃんを呼んだわけだし。ともかく話を聞いてくれてありがとう」
ペンギン「こちらこそ、思うところがいろいろありました。ありがとうございます」
結城「それでは、またね」
ペンギン「はい」